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2024/04/26 02:31 |
至って健全な人間です
多少根暗でありますが、至って健全な人間なんです。ちょっと五臓六腑が痛いけど。

うーんと、自分の表現方法が受け入れられづらいというという意識は若干しかありません。
というのも、自分が「これもありだな」と思うような雑食だからだと思います。だから、私は他人の痛みがわからないと思うんです。耐性が聞きすぎる人っていうのは、他人の痛みがわかりません。つまり自分が食らった耐えられる痛みを他人に渡すと、斃れてしまうことがあるからです。自分が平気=他人が平気と思ってしまう人がいれば、自分が強くなるたびに鈍感になっていくんです。
まぁボクも若干そんな生き物でして。
性格とか性質とか一言で言えば編なんですが、もう少し詳しく言うと、「感情豊かな冷血人」という感じでしょうか。
感情は豊かなんです。でも、物事を動かすのは感情じゃなく、そこにある事実なんです。事実対応に関してはものすごく冷静(らしい)っぽく、感情は二の次、むしろいらないのです。

だから理解されにくい。
ついでにいえば、共有を求めていない。
理解は少し求めてます。ですが、それよりも共有して欲しい部分って人にはあると思うんです。そこは共有して欲しくない。何でかって、人それぞれの自分のルールに従って欲しいからです。勿論自分を信じてるわけじゃないの。
事実のいい・わるいはデータに基づいたものだけを判断します。感情のいい・わるいは人の主観に基づくものなので、ボクは何も言いません。共有よりは、少しだけ近づくような、そんな気持ちでいいんだとちょっぴりおもいます。

ボク自身は、人間とかいう基盤で考えると、至って健全だと思います。健康的というわけでもないし、教養が高いというわけでもないけど、どこかで堕落してそれでいいと思って自分の外殻(人間は殻を破って飛び出すとかいうけど、その殻が何も一つとは限らないはず)を抜けられないような、また太宰治のような自身が認める[人間失格]というようなものではないとおもいます。そもそも人間に格なんかあるとは思っていないし。そういう風に進化してきただけのものに対してあれこれいうつもりはないよ。
精神だけを考えても、ボクは自分を崇高と思ったことが余りありません。どっちかっていうと、人類みな平等な感じがします。だからボク、あまり尊敬とかいう言葉を使わないんだよね。尊敬も、レベルが低いんです。だって人間だから。別にその辺の人が突然その尊敬するような人っぽくなったらどうする? ボクだったらそいつのことを何もいいません。そいつにはそいつの生き方があるから、そうしてくれというだけです。
ボク自身は、あまり幸せというものを解りたくないと思います。幸せを解ったら、失うの怖いじゃん。でも知っているから不幸って言葉を使えるけど、あまり不幸な気持ちにはなったことないよ。惨めって思うことはいっぱいだけど。
ボク自身は人のことをとやかく言うことがあります。が、本心はかなりどうでもいいのです。実際、凄くどうでもいい。なので、周囲に関心が薄いんです。だってそいつがそうしたいなら、それでいいじゃん。何で何かいわなくちゃいけないの。ボクは人に関わって欲しくないところが若干あるので、あまり人一人にこだわりません。だってその人ばかりアタックしてたら、他の人可哀想じゃん。そうじゃないの? ボクにはそこがわからない。

なので、ボクはあまり人に干渉されたくないのが本音です。いわれると、それまでを否定しちゃう気がするの。
人間は弱い生き物です。弱い生き物には繁殖力が生まれつき備わってます。だから、世界を支配しているという風に思うくらいに、汚染しているのです。地球から見たら、ボクらは腐敗しているカビだと思います。
人間は、同じ種族を同じ種族と思えないほど馬鹿です。人間は、自分たちが一番だと思えるほど愚者です。人間は、自分の足元を壊せる愚考ばかり繰り返してます。時として人間は反省します。ですがすぐ忘れます。必要ないから忘れるのです。人間は、群れないと生きられないほど弱いです。人間は、他者に干渉することが大好きです。それは、時として絶滅という二度と再生できない行動へ結びつきます。

一生懸命っていう言葉は使いますが、好きではないです。使うのは便利だからです。説得力があるからです。
でもボクの流儀にはまったく合わないのです。いつもどおりの力です。それでいいんです。頑張りすぎたって何かいいことがあるわけではない。頑張ったものがいいものではない。頑張りが認められるわけではない。生死に関わるものだったら、頑張るかもしれません。でもボクは、頑張ったものの上ってあると思うんです。上を常に越せるほど、ボクは能力があるわけではないのです。だから、頑張りません。そのときは何があっても懸命だったと思います。でも、思い出って褪せるんです。褪せるのは何でか。必要ないからです。記憶って褪せるのは、必要ないからです。機能で必要なものは覚えているのでしょう。記憶は、感情をよくするものなのです。
湯船にずっと付けられている赤子ではないのです。いつか、そこから出なければならないのに。記憶にだけ縋り付いて馬鹿だ。

ボクは、動物に感性が近いのかもしれません。それか子供です。
だから、本音と建前を使い分けても、思っていることはいっているようでいっていないのです。最終的に何もいえない子供。そんな感じです。言わないと言い張りながら、実は心の底で言えなくて泣いているものなのです。
子供も動物も、若干怒ればわかる生き物なんです。でも忘れます。必要ないから。
だけど、怒った人が、本当に自分自身にとってプラスになることのことはきくのです。それ以外でも、一応は聞くのです。
ボクは、幼年期から鍵っ子でした。家に帰ってきて誰かがいることなんて滅多にありません。なので、たいてい孤独でした。家の中に入ると、シーンとしてます。音がしません。いや、音はするんですが、それは孤独な音です。家の中は無音でした。暇だからやることはありません。ただ、ボゥと親が帰ってくるのを待ちました。
孤独は馴れる物ではないのです。今でも、時たま馴れません。それでも孤独を求めるのは、誰かに取り巻かれているよりも、一人で生きていたほうがいいと思う状況ばかりだからです。今でもそれは変わりません。何処にいたって思うことです。
ボクの黒い心っていうのは、きっと記憶の中から生まれたものだと思います。辛いとか、哀しいとか、そういうのがまとまったのがそれだと思います。だから、いざ自分だったら死んでしまう状況に小説の人々を陥れるのです。それは、ボクの記憶を少しでも持っていって欲しいことの裏返しかもしれません。

ボクには若干、顔とかスタイルとかに関しての格好いいとか可愛いとかいう感情が抜けているようなのです。
だから、顔が整っているかもしれないという表現は使うかもしれません。ですが、格好いいとかっていうのは、内面からにじみ出るものが多いと思います。格好いいよりは潔いを選びたいのです。
ボクは、何を持ってその人を評価するのかを、ボク自身で評価してます。なにをいわれても内面だと思います。顔を判定基準に入れるっておかしいと思う。だって顔は、今、変えられるから。

ボクの基準はボクのルールでやってます。間違えが必要なんですか? 正解が必要なんですか? ボクはそれよりも可能性とかそこを知りたいです。真実が一つではなくていいのです。ボクにとって必要なのは、それはどうしてそこに在るのかかもしれません。違うかもしれません。

ボクの弁明は以上です。
ボクはこれでも生きてます。狂おしいほどではありません。ですが、時々しょうもないことで悩んでいるのは確かです。何でか。自信がないからです。自信がないというのは、「人々を連れたときに不幸にするかもしれない」と思うからです。ボクを完全に信用する人がいたら、その人はなにも見えてないんだと思います。僕は人間です。馬鹿なんです。ボクは建前をよく使いますし、手八丁口八丁で乗り切る人間です。要するにいやな人間なんです。
自信は、いつか過信に変わります。過信しすぎていやなことなんかいくらでもあった。だから自分でも自分を信用しません。過去が嫌なんじゃありません。過去は過ぎ去ったことだから関係ないのです。
過信を謝りだと思えないのが嫌いなんです。たぶん。だから自信も何もないのです。「いけるいける!」と思って口に出しているときは、自分自身への暗示です。何とかなると思っているだけです。その目標は、かなり低いのです。
ボクは、健全な人間だと思います。でもいい人間ではないと思う。そもそもいい人間なんてはかれないのだから、そういう表現は内の方でして欲しい。
ボクは、高みに上っているのかもわかりません。ですが、ゆっくり歩きたいのです。あせらせないでください。通行を邪魔しないでください。お願い、ゆっくり歩かせてください。今は、鉛の重りを引きずっている気持ちですから。
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2008/04/20 23:05 | Comments(0) | TrackBack() | ことばやら思想やら

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