そりゃ2:30に寝て、8:00に起きて、それからずっとレジュメ。全身筋肉痛とあわせて。ストレスもたまりまくり。
2限の時間も無視してレジュメしました。明日はグースカピーとねていたい。
レジュメ終わって家でて、発表したら僕のところだけエラーでまくり。あの、最新のパワーポイントとか、アドビリーダーとか適応してください! アドビリーダーは適応しろよ馬鹿学校! と心の底から叫びそうでした。
まぁ、パワーポイントよりもレジュメが他人よりも相当しっかりしていたらしく、おかげさまでレジュメだけでなんとかなりました。生きてましたとも。
完全復帰とまではいきませんが、少しだけ復帰しているような、そんな感じです。相変わらず胃が痛いぜ★
今日もアナログ絵をちまちま描いていたいと思います。
年末年始あたりはまた年賀状絵に追われているんだろうなぁ。
どうでもいい私信:
某Nさん>>ウチの犬はだいたい中型犬[ソフバンのおとうさんくらい]なので大きくはないんですけど、それでも10kg以上あるのが圧し掛かってくるわけでして……。結論からいえば重いです。僕はマットとかソファの位置になっているんだと思います。
とりあえずヤフオクによく頼ってます。ヤフオク好きだなぁ。
今のバイトの給料が入ったらイベント用の雑貨買わないといけあい。今度こそ、格子状のパネルにいたします!
あといつものように、いつものよーにポストカードがいっぱい増えます。ポストカードだけだね、今リクエスト受けつけられるの……。
レジュメの内容まとめです。あんまり大した事書いてないなぁ。
霞ヶ浦の現在と環境汚染について
【初めに】
現在環境問題が多く騒がれており、エコバッグや環境税の導入などが話題を呼んでいる。しかしその多くは地球温暖化を初めとした空気汚染に依るものが多い。人間の根本に根付くものは、酸素と同時に水資源が挙げられる。そこで私は、日本で二番目に大きい湖沼である霞ヶ浦を取り上げ、水資源の過去現在、そしてこれからを考えてゆきたいと思った。
【霞ヶ浦とは】
霞ヶ浦は茨城県南東部に位置する、淡水湖である。近隣に牛久市・鹿嶋市・石岡市・土浦市・龍ヶ崎市など、県でも有数な都市が軒を連ねている。江戸時代以前から有数の漁業所として知られている。
湖面積は日本で二番目の大きさを誇り、約220平方kmを超え、流域面積も大きい。同時に、流域人口も100万人を越え、県内の面積・人口も約1/3を誇る。
また県内だけではなく、南方にある千葉県もその恩恵を受けており、水利権だけでも、東京都も恩恵を受けている。
【霞ヶ浦の歴史】
霞ヶ浦は淡水湖に分類されている。しかし、戦前までは汽水湖として漁業を支えていた。霞ヶ浦は古代は海底に有り、最終氷期を迎えた後に陸化が進み、現在とほぼ変わらない形をとっている。また海と繋がっているため、塩湖としての側面もあったと考えられる。徐々に鬼怒川や小貝川の影響を受け、淡水の性質を持ち始めた。そのため、汽水(淡水と海水の混じっている部分の水)としての性質が如実に現れてきた。
1948年に治水のため浚(しゅん)渫(せつ)工事が行われたが、霞ヶ浦近辺の田畑に塩害(昭和33年塩害)が出てきたため、逆水門として常陸川水門が築かれた。この水門建設により、海水が常時入らなくなったため、淡水化が進んできたといえる。また、この建設が霞ヶ浦開発事業の足掛かりになったり、水質汚染の現況となっているという批判が数多く存在している。ただし、水質汚染に関しては、どの程度水門自身が汚染に影響しているかが判断つきづらく、評価が難しいとされている。
文化面として、有史以前の貝塚が発見されていたり、アイヌ語系列を由来と考えられている地名が存在している。古代史ではヤマト王権と手を結ぶような豪族の古墳が有り、常陸国風土史に『流れ海』という名で呼ばれている形跡がある。このように古代史以前からでも存在をうかがえる霞ヶ浦であるが、多く名を轟かせたのは江戸時代に入った後である。水運の大動脈として、利根川と霞ヶ浦が結ばれる河川改革が行われた(これを『利根川東遷事業』という)。河岸として物運を支えただけではなく、大規模な新田開発も行われ、開墾が盛大に行われたのである。
足尾鉱毒事件により、利根川の主流が霞ヶ浦や銚子方面と定められた。このことにより、霞ケ浦の治水はより強化されることとなる。利根川の霞ケ浦合流地点を引き下げたり、横利根閘(こう)門の建設などが行われた。1938年に近代治水史上最大の洪水が起こり、土浦市では大半が十数日以上も濁流が停滞し、赤痢などが起こった。戦前から水運や漁業が盛んに行われ、干拓も盛んに行われた。
1916年以降は、現在の霞ケ浦駐屯地と共にあった。当時は海上・航空の補給拠点として、重要な位置を占めていた。その他、世界一周旅行中だったツェッペリン伯号や、大西洋単独無着陸飛行をはじめて成し遂げたチャールズ・リンドバーグ夫妻などが調査のため来日した時も、霞ケ浦に訪れている。そのため当時は外国機が次々と飛来し「世界的空港」と謳われていたという。現在軍事施設は陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地(関東補給処、航空学校霞ヶ浦校)や土浦駐屯地(武器学校)がある。
【過去の霞ケ浦と人々の動き】
霞ケ浦の歴史でも記載したが、霞ヶ浦は塩湖・あるいは汽水湖として人々の漁業を支えてきた。
土浦と潮来(いたこ)を繋ぐ航路として、定期船が走っていた。このようにして霞ケ浦周辺は活性化し、自然と共存する形で活性化していたのである。
木造船や高瀬舟、ワカサギ漁には帆かけ舟で漁業も盛んにおこなわれていた。四季折々に様々な鳥や魚類が集まり、また秋から冬にかけては特に渡り鳥が目立った。戦前は堤防がなく、そのため霞ケ浦周辺の田園は洪水の被害にあった。しかしそのおかげで、従来捕りえない魚たちも捕れるようになっていた。
それだけではなく、過去の霞ケ浦は生活用水として親しまれていた。湖底が見えるほど澄みきり、米の研ぎ汁として使われるだけではなく実際の飲み水としても使われていた。
だが、戦前にできた霞ヶ浦駐屯地により、海上・航空自衛隊の補給拠点となった。理着水時には白波を立ててゆくこともあったため、漁がままならないことが多くあった。またそれだけではなく、不時着水や墜落の惨事も重なり、さらに昭和26年(1951年)に爆撃があったため、湖底には大きな穴があいている。のちに、危険場所となった。
また、終戦後から高度経済成長に合わせ、産業が大規模化していった。それと同時に湖畔の堤防建設や農業を開拓し繁栄をもたらした、その反面、水質源公団や建設省(現・国土交通省)によって常陸川水門が完成し、湖と海水の流れは断たれ(淡水化)、水の流れがなくなり、汚染が進んでいくこととなった。
【現在霞ヶ浦が抱えている問題】
終戦後からの高度経済成長に合わせて開拓が進み、その影響で公害が発生したりするなどの環境問題が各地起きている中、霞ケ浦も例外ではなかった。高度経済成長の際に拡大していった様々な事業の反面、それらに適応する汚染処理や生活環境浄化の施設が未整備だったため、悪化した道路が増えたり、下水汚水の垂れ流し等が起きた。そのため、霞ケ浦の汚染が始まった。また、汽水湖としての性質も薄まり、現在は淡水湖としての性質をもっている。そのため、汽水で暮らす生き物が激減し、漁もままならないのが現状である。また危険な外来魚も多く生息する地帯となり、遊泳や漁などができない湖となった。
霞ケ浦はそもそも平均水深4mと浅い部類に属し、富栄養化による水質汚染が生じやすい湖である。また周辺の人口が多いことや、下水道設備が50%程度しか整っていないことがさらに環境悪化へとつなげている。水質が一番悪化した時は、COD(化学的酸素要求量:別名・酸素消費量 代表的な水質の指標である。環境基準では3mg/ℓ おもに有機物量をはかるためと考えられている。しかし、まれに還元性の無機物によっても数値が上がることがある)の値が10mg/ℓを超えていた。この時期は、アオコの大量発生や、養殖していた鯉の酸欠死、水道水のカビ臭などの水質問題が浮き彫りとなっていた時期でもある。現在は改善され7mg/ℓとなっているが、依然として高い数値を誇っている。表面的に見える問題としても、水質悪化に伴う透明度の低下や、湖内の植物の激減などもあげられる。
これらを踏まえ、環境改善としてとられようとしている事業が、『霞ヶ浦導水事業』である。栃木県と茨城県を流れる那珂川から水を引く事業だ。水質浄化・水不足の軽減・新規都市用水 (長期に安定した水)の確保のために行われる予定である。しかし、この事業に関して余計環境が悪化するのではないという見解が強く、また政権交代により公共事業の中止が図られているため、事業行使のために多大な投資をしているが、実現には至っていない。
【行政の動き】
国土交通省がまだ建設省と言われていたころから、霞ケ浦の問題は大規模に対策が行われていた。その一つが浚渫である。底泥浚渫は平成4年(1992年)からさらに大規模なものとなっている。これは霞ケ浦の泥の中に含まれている窒素・リンの排出量を減らすために必要とされている。
また、以前の自民党政権時から行われているのは、『霞ヶ浦導水事業』である。これは中川の水を霞ケ浦や桜川に水を引く、という構成である。事業の背景には、日本には降雨量が多いのに渇水が多いことや、一人あたりの消費水量が多いことなどが挙げられる。そのため、一人ひとりに安定した水を供給するため、ダムなどの溜池導水が必要となってくる。那珂川と利根川の渇水時期が違うため、片方が渇水した時にもう片方から導水することによって、安定した水量を供給することができるといえる。
昭和59年(1984年)に工事は着手され、平成8年(1996年)には利根川連絡水路(水機構による霞ヶ浦開発事業との共同施設)が完成した。平成27年度(2015年)には、那珂川と霞ケ浦を繋ぐ那珂川導水路の建設完成を図っている。現在は全体事業費1,900億円のうちおよそ1,450億円(全体事業費の約76%)を使い、完成済みの利根導水路、那珂導水路の立坑、機場、トンネルなどを建設している。機場は3か所のうち2か所が建設完成、立杭(水路トンネルを掘削するための地中部への作業坑)は10ヶ所中9ヶ所が完成。那珂川導水路のトンネルは全長43kmのうち13.7kmが完成している。
だが、民主党政権に代わり、公共事業の相次ぐ取りやめなどが行われているため、霞ケ浦や中川も例外ではないのか、という声も上がっている。また、多くの漁業関係者は、那珂川から導水される際、取水口から魚たちが流れてしまうのではないかという懸念の末、反対の声が挙がっている。現在・平成21年10月以降の『第3四半期』における工事の発注予定はなく、現在は凍結しているととらえることも可能だ。
【湖沼・河川汚染度】
霞ケ浦の汚染度は非常に高く、また悪化の原因の多くが人工的なものである。
霞ケ浦自身の汚染度合は、CODでいえば7mg/ℓと高い部類に属す。また、植物性プランクトンの中でも藍藻類のミクロキスティスが大発生し訳すく、アオコが発生しやすい。アオコの発生濃度は大体1.0~1.2mg/乾土kgであり、多いところは1.2mg/乾土kgを超える。アオコは景観の悪化だけではなく、日光を遮ったり水中の酸素を減少させたりし、環境悪化に大きく貢献する。また、カビ臭がするだけではなく、人体に被害が出る毒素をまき散らす場合もある。
『霞ヶ浦導水事業』を行った場合、霞ヶ浦はより淡水湖化する。また、CODの量も、0.7~8/ℓほど減るという。しかし、霞ケ浦自身のCODが7~8mg/ℓのため、効果的とはいえない。また、那珂川のほうには富栄養化を促進・悪化させたりアオコを発生させるリンや窒素などの物質が多く含まれているという者もいる(なお、国土交通省ではこの試算表は提出されていない)。那珂川には原水汚染要因として農薬散布・渇水による塩分遡(そ)上・降雨による濁度上昇・水質汚染事故 等が挙げられるが、これらは多くが人工的なものである。また、川の水や湖の水が入り混じることにより、双方の水が汚染されることを懸念する者もいる。
また、外来種による環境悪化の問題もある。河川水量の減少でアユやシジミが減少するほか、霞ケ浦に生息している外来種が川を遡って那珂川に移送する場合も考えられる。この外来種の移送と同時に考えられるのが、細菌・ウィルスの移送である。これらを総括すれば、生物多様性の決壊や、生態系の崩壊へも繋がる可能性も秘めている。
そのため、那珂川側からも、霞ケ浦側からも懸念する声が大きい。
【これからの霞ヶ浦】
現在霞ケ浦では、多くが『霞ヶ浦導水事業』に振り回されているが、市井で動いている部分も非常に活発である。
ピーク時には180ℓのドラム缶2000本以上のアオコ採取量を検出したアオコであるが、年々減少している。また、回収機によって採取したアオコは、採取船内にて濃縮・脱水したのち、ケーキ状に処理される。この後、アオコ肥料(有機肥料)として再利用を図っている。また、現在はアオコの発生も非常に少ない。また、湖内植生浄化施設(ウェットランド:霞ケ浦内部に仕切り堤で区切った小さな湖・湖内湖を制作したもの)を作ることによって、植物帯による浄化を図っている。また、植生回復浄化施設として人工浮島を建設。そのほかにも紫外線を利用した浄化施設や、植生(ヨシ)による清明川植生浄化施設、浮葉植物(アカザやカガブタなど)を設置した水上浄化を行ったりしている。
また、同時に独立行政法人の国立環境研究所・地球環境センターなどが調査・支援している。
地域の小学校に対する環境教育なども盛んであり、さらに霞ケ浦工事事務所や社会法人『霞ケ浦市民協会』などが連携し、環境教育活動やイベントを通じて活動をしていたりする。また多くの地元企業(ジョイフル本田、等)は地域貢献を行い、霞ケ浦浄化に力を入れている。
【湖沼は再生するのか?】 (琵琶湖の例)
汚染されていた琵琶湖が、見事に回復したという話もあるが、ここでは割愛させていただく。
現在は、琵琶湖の自然保全などの課ができている。
【考察】
霞ケ浦は広大であり、人々の生活の糧となっている。過去の変遷はどうあれ、現状でも欠かせない湖であることは間違いない。そのため、環境悪化を食い止め、浄化することは茨城県だけではなく、霞ケ浦流域に住む者たち、また同時に飲み水や生活水として利用する者たちにとっては考えなければいけない問題である。
多くの環境問題が地球規模のものと考えられている中、霞ケ浦の問題は身近であり、実に深刻である。行政が行うべきところは行い、市井で行える範囲のものは姿勢で行う必要があるのではないかと私は考える。また、霞ケ浦の浄化と引き換えにどこかの川を汚染しては、元も子もないと考えられ、現在行われている霞ケ浦導水事業に関しては、現在も熟慮する余地があると思う。
一つに、大規模な工事ではなく、自然の力を利用した浄化が必要だと考える。自然の力を利用した浄化の代表は浚渫であるが、せっかく豊かな水源として親しまれていたのであれば、生物の力を利用するのが良好かと思う。霞ケ浦の泥底の中にはまだ十分な酸素があり、その中にEM菌(有用微生物群)を水質浄化・土壌改良として試験的にも導入してみる価値はあると思われる。現在は鯉の養殖なども再開され始めているが、ウェットランドの一部を使っても行うべきだと考える。少なくとも、外来魚をむやみやたらと入れ、未利用魚となり、また同時に鯉や鯔(ボラ)など死滅・鯉ヘルペスなどが発生・拡大することを防がなければならないと思う。
●参考文献●
◆斉藤建夫編『ふるさとの文化遺産 郷土資料時点 茨城県』 人文社 1997年発行
◆佐賀順一著『霞ヶ浦風土記――風、波、男と女、湖(カワ)の記憶――』 常陽新聞社 1995年発行
◆森岡理右編『白魚よ還れ』 財団法人霞ヶ浦水質浄化推進振興財団 2001年発行
◆湖沼の種類 http://www.aa.alpha-net.ne.jp/cobyan/zatugaku/kosyouno%20syurui.htm
◆水源連のページ http://www7b.biglobe.ne.jp/~yakkun/suigenrennnope-zi2.htm
◆陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地 http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/eadep/index
◆国土交通省霞ケ浦導水工事事務所 http://www.ktr.mlit.go.jp/dousui/
◆霞ケ浦トレンドステーション http://db.cger.nies.go.jp/gem/inter/GEMS/kasumi/index_j.html
◆ひたちなか市ホームページ http://www.city.hitachinaka.ibaraki.jp/index2.html
◆滋賀県庁 琵琶湖再生課 http://www.pref.shiga.jp/d/biwako/
Wikipedia◆霞ヶ浦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9E%E3%83%B6%E6%B5%A6
◆霞ヶ浦の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9E%E3%83%B6%E6%B5%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
◆常陸川水門 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%B7%9D%E6%B0%B4%E9%96%80
◆化学的酸素要求量
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%9A%84%E9%85%B8%E7%B4%A0%E8%A6%81%E6%B1%82%E9%87%8F
◆有用微生物群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%94%A8%E5%BE%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%BE%A4
こんな感じのを書きましたとも。