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2024/05/19 09:38 |
おわらんれぽーと
今必死に描いてます!

内容は


続きにでも。


内容がいちいち臭くて笑っちゃうのですが、何故か中国の桃源郷にいるヴァージニアチームとジェイナスチームを思い出して仕方がありません。
いえ、ジニーとナスオはかまわないんですが、何故中国だかわかりません。

あと1枚半くらい描けば終わるかなぁ。今何文字書いてるんだろう。200くらい? いや、150くらいか?
3000字が少し遠い気がした(気づくの遅い)。

明後日の4時くらいまでに提出なので、コレはコレで軽く終わってしまう気がします。
いや、別段そうでもないですが。ノートまとめとか、フィフスやりたいのですが。

コレは終わるはずだ。とりあえずネタ温存とか発展のために、今は寝よう。おやすみなさい。

正義というもの

 

正義という言葉がある。辞書で引けば、『人が行うべき正しい道理』(学研漢和辞典、荀氏より)とある。人間が行うことで、正しい道、というのが正義ということだ。

しかし、人間がいくらでもいるように、ありとあらゆる考えを持っており、そしてその『正義』という考えに基づけば、『正義』なんていくらもあるように考えられる。

例えば、戦争が、正義に反しているという意見がある。世界のあらゆるところで見受けられる正義は、得てしてその反しているものに値するだろう。そして、戦争が起こした結果は、最終的に世界平和に導いても(ここではあくまでも物理的な平和であり、人々の内面に起こりうる平和には干渉しないこととしている)、戦争が終わった――尤も、その終了は何を持って終了とするかがあまりよくわからないのだが――瞬間は、正義に悖っているのだろうか。戦争に行く兵士は、正義に反しているのだろうか。たとえそれが家族のために武器を手に取りえなければならないとしても。

そこで私が思うに、正義というのは、二つから生まれているように思える。ひとつが『個人の正義』であり、もうひとつが『全体の正義』だ。この二つの正義は、どちらかがどちらに飲み込まれていたりするものではなく、また、相反するものでもない。同じ原点から生まれて、別のものとして派生していったものと考えるべきだろう。

元を考えると『正義』というものは、『人が行うべき正しい道理』である。この『正しい』という言葉の中に、俄かに『幸福』という言葉が入っている。つまり、『正しい』ことは『幸せになれる』ということだろう。誰かがあなたが困っているときに手を差し伸べてくれたら、あなたは感謝の気持ちを込めて『ありがとう』というだろうし、何よりも幸福感に浸るだろう。

そしてこの『個人の正義』というものは、時に個人と個人でぶつかることがある。


死にたくなってきた。

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2007/07/23 01:32 | Comments(0) | TrackBack() | 学業とか経営とか

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